赤いステッチの雑巾

お店のテイクアウトのお惣菜や季節の花などの写真をインスタにこまめにアップしてる。先日、フォローしてくださっているお一人が、ご自分のインスタに無印の赤いステッチの入った雑巾を買ったと、写真を添えてアップされていた。私も、これはすてきだなと思って店で手に取った商品だったので覚えていたが、雑巾を買うという行為に抵抗があって買わずに帰ってきた。雑巾は自分で縫うものという思い込みが私にはあるからだ。

再度、無印のお店に行った時には迷わずに買ってしまった。見た目がかわいいのだ。角の一つにステッチと同じ赤い糸で返し縫いを重ねて、しっかりとループが縫い付けてある。使い終わって洗った後、このループをどこかに引っ掛けて置けば乾燥するだろう。その雑巾の生地は薄くて柔らかく、とても優しい手触りだった。タグを見ながら、若い中国の女性の手で作られたのだろうか、などと想像してみる。

きっかけは多分、暮らしの手帳で見た刺子をした雑巾の写真だと思うのだが、いつの頃からか私の縫う雑巾はしっかりと丈夫なものに変わってしまっていた。使い古しの少し厚めのタオルを4つに畳むと、まずミシンで辺に沿って四角く1周する。それから、一筆書きの要領で2センチ間隔で中央に向かって縫い進めていく。多少ステッチの幅に広い部分と細い部分があったりはするのだが、ぐるぐるとまわりながら中心に向かう線がきれいだなと、満足感を味わうのだった。

子供たちが小学生だった頃は、新学期の初めに一人2枚ずつの雑巾を持っていくことになっていた。2枚重ねるとずしりと重い雑巾を毎年、子供たちは受け取ってランドセルに押し込んで登校して行った。「ありがとう」と言って…

ところが、すでに子供たちが成人してしまってから、何かのきっかけで気が付いたのだ。私の作ってきた、ミシンでぐるぐる縫ってある丈夫な雑巾は、小さい子供の手には固すぎたと。さぞ、絞るのが大変だっただろうなあ~と。長女と、長男は冬になるとしもやけになって真っ赤に腫れた手をしていた。痛々しい手が、切なく思い出されてしまった。

5枚1組の雑巾の束をほどいて「やわかいやろう~」と言いながら店を手伝ってくれている次女に渡した。彼女は3人の小学生を持つ母親なのだ。
「私が作っていた雑巾は、かたすぎたなあ。」というと「うん、友達がうらやましかった」と、次女は言った。

使う人の身になって考えるという配慮に欠けた、過去の自分の未熟さに思い至って恥ずかしく思った。
それにしても、私の3人の子供たちは文句ひとつ言わずに、使いにくい雑巾を毎年学校で使ってくれていたんだと思と、済まなさで胸がきゅっとなる。

これに似たことがまだまだ、私の子育てにはあったに違いないとも、思う。