お腹からわらう

f:id:tanpopo-keikoniki:20220211161852j:plain隔週で日曜日に、自転車で10分ほどの町立図書館に行く。借りていた本を返却し、新たに4〜5冊借りてくるのが楽しみになっている。

昨年7月に、経営していたカフェを閉店し、長年の時間に追われる生活から73歳でやっと開放された。最初は、以前の生活では想像出来なかった自分の持ち時間の多さに戸惑ったが、最近は夫とのふたり暮らし楽しめるまでに心のありようが変わってきたように思う。

週に3日は、おまかせランチを
作るアルバイトをしているが、それでも、自分のために使える時間はたっぷりある。家事が好きな事に気がついたり、ガーデニングも楽しい。

今週、図書館で借りてきた本をリュクから出しながら、椎名誠の本が一冊入っているのを確かめて頬を緩めてしまう。ここ半年ほどは毎回、彼の本は必ず借りている。

ふと、何でこんなに彼の本が好きなんだろうと思った。未知の世界を知る楽しさ、冒険の疑似体験を味わえる痛快さ、端々に滲む著者の人間大好き感と心の温かさ…
などと挙げていて、はたと気が付いた。私はもしかして笑いを求めているかも、と。

今日も、[台湾ニワトリ島乱入]を読みながら、何回も、腹筋がフルフルし始めると口まで振動がせり上がり、たまらなくなって声をあげて笑ってしまった。

そうだった。今のシニアふたり暮らしには、お腹からわらう場面など皆無になっている。長くなったコロナ禍で、友人や親しい人とも疎遠になっている。

5冊の本は読み終えてしまったので、日曜日にはまた図書館に本を借りに行こう。もちろん、椎名誠の本を1冊は含めて。

心を充たしてくれるのは

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早いもので、亡き母の四十九日の法要の日が近づいてきた。
母を失ったことで出来た心の空洞を抱えての日々は、仕事も日常生活も地に足の着いていない頼りなさを感じながら過ごしていた。

先日、職場であるデイサービスでのこと、利用者の90歳台の女性が娘の名前を呼んでいるらしい声が聞こえてきた。私はランチ作りの仕事の手をとめることなく聞き耳をたてていた。その女性の声は段々と高くなっていく。介護スタッフは慣れた様子で、娘さんは今は会社で仕事をしていると優しく諭している。認知症の女性には、それは理解出来ないらしく娘の名前を呼び続けている。

その時不意に、その女性の呼ぶ声が、死を目前にした母が私を呼ぶ声に聞こえてきた。包丁を使う手がとまり、ボロボロと涙が溢れ出して止まらなくなってしまったのだった。

死の床で母は、こんなふうに私や妹の名を呼びながら待っていたのだと思うと胸がはちきれそうだった。しかし、なんとか自分を取り戻して仕事に支障をきたすことはなかったのだった。
 
その日の帰りに、私は春に咲く花の球根をいっぱい買ってかえった。チューリップ、ラナンキュラスアネモネ、アイリス、スノードロップ、ヒヤシンス。

小さな私の花壇で、もうラナンキュラスアネモネは芽を出し葉を広げてきた。プランターの野菜も順調に育っている。

花や野菜づくりの上手だった亡き母と、心のなかで会話しながらのガーデニングは充実感を与えてくれる。法要の日には、ガーデニングの成果を報告をしようと思っている。

気がつけば心にあった空白は、オンライン面会でやり取りした母との思い出と、花や野菜の事で満たされている。

E を探して暮らしてみよう

f:id:tanpopo-keikoniki:20210901133408j:plain経営していたカフェを閉じて、デイサービスのランチを作るアルバイトをする生活になり1月が過ぎた。何となく生活のリズムができつつあるが、この暮らしに満足感がないと思い始めてもいた。

アルバイトは1日に5時間で週に3日、後の日々はほとんど家で夫と共に過ごしている。長年、仕事をして来た私は、あまり家で夫とふたりの時間を共有してこなかったので、何となく居心地悪い。

夫は、仕事をリタイアした後は料理以外の家事をしてくれていた。だから、私がいる日は、ふたりの間で家事をめぐってギクシャクしてくる。互いに相手の行動を読みながらの暮らしになっていたが、それも、1月経つと自然に役割が分担できてきた。

私は、長年の早起きの習慣が崩れてしまったのが嫌だったので、立て直す事にした。朝は、5時には目覚ましに頼らずとも目が覚める。身支度をして早朝の散歩に出てみた。爽やかな空気が気持ちいい!せせらぎを聞きながら川沿いの遊歩道を1時間かけて歩く。小さな草花や畑の作物の実りに癒やされる。見上げると空が広い! 忘れていたものを取り戻す感覚を味わった。

夫との暮らしの中で、ひとりになる時間を見つけたと思った。そして、散歩しながら自分の生き方など考える。これからは、気持ちいい、楽しい、嬉しい、美味しいを探す暮らしをしようと。もう2つ追加して、美しい、愛しい、これで語尾にE がつく言葉は6個になった。

あと数日で73歳の誕生日がくる。E探しのスタートを切ろう。

母であり続ける

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寝たきりになり、点滴だけに頼って命を繫いている母と、初めてオンラインで面会をしてから5ヶ月が経過した。初回は画面に映し出された母の姿から、お別れが近いであろうと思ったのだった。

それでも母に会いたくて、ほぼ毎週、同じ曜日の同じ時間にふたりの娘も一緒にオンラインでの面会を重ねてきた。それが功を奏したのか、母が待っていてくれたことが表情から読み取れるようになり、私達も楽しみになってきていた。

そうするうちに、母は私達に話そうとする意欲が湧いてきて、絞り出すような声で私達の名前を呼んでくれた。私達はうれしくてボロボロ涙をこぼしなが拍手をおくったのだ。

その日の体調にもよるが、気分の良い日は一生懸命に話をする母。カメラを操作する看護師さんは、互いの意思疎通が上手くいくように通訳にもなってくれる。その、気配りから母が病院のスタッフに大切にされているらしい空気が伝わってきて、心が安まる。

先週は、私の家庭菜園で甘いプチトマトが実っていると伝えると、来年の為に、その種を収穫しておくようにと教えてくれた。母のレモンの木を接木で育て実のらせた次女の話も嬉しそうに聞き、また挿し木をして備えておくようにと教えた。ああ、母は、いつまでも母であり続けるのだと、胸が熱くなった。

私は、オーナーシェフをしていたカフェを半月前に閉店した。そして、デイサービスで週2回ランチを作るアルバイトを始めている。メニューは任されているので、ふと気が付くと母の好物ばかり作っていて苦笑いすることがある。

遠い地に住むので叶わぬことであったけれど、母に毎日の食事をつくってあげたかった。
その思いを込めて、デイサービスの利用者さんに、美味しく食べていただけるよう努力しようと思う。

長女の思い

f:id:tanpopo-keikoniki:20210507160217j:plain関西圏に住んでいた夫の姉が、長女の住む関東の老人ホームに入所したと聞いた。義姉は92歳になったが、5年前まではデイサービスを利用しながら自宅で一人暮らしをしていた。

しかし、失火で家を失い、しばらく隣の市に住む長男家族と同居したあと、地元の老人ホームに入所していた。

弟である私の夫とは一回り歳が離れているので、親しいお付き合いはしていなかった。だから、どう言う経緯で関東に行くことになったかは私にはわからない。状況から判断して、長女が最後を看取る事になるのだなと思った。

そして、義姉の長女が羨ましいと、そう思ったのだ。出来ることなら私もそうしたいと…
私の母は、実家のある徳島県のケアハウスで生活していたが、今は寝たきりになって入院している。他県に住む私は、コロナ禍で面会は叶わず、もう8ヶ月もの間、直後会うことは出来ないでいる。長引くコロナ禍のなかで同じ状況にある人達はたくさんおられるだろう。みんな、辛い思いを抱えているだろうと思う。

親しい人の、そう長くは無いであろう残された時間を共にしたいという、切実な思いがかなわないのは、胸が苦しくなるほど淋しい。

母は病床でどんな思いで、この日々を過ごしているのだろうと想像してみる。先に逝った父との日々、私達3人の子どもや孫、曾孫のことなどを思い浮かべているだろうか。

何も出来ない自分を不甲斐なく思っていたのだが、急展開したのは病院がオンライン面会を勧めてくれてからだった。最初の時こそ、無反応な母の姿に愕然としたが、回を重ねる毎に母が蘇ってきたのだ。毎週、ほぼ同じ曜日の同じ時間に面会をしてきて、昨日はちょうど10回目のオンライン面会になった。回を重ねるうちに、とうとう母は私や娘の名前を言えるようになり、会話ができ始めたのだ。そして、穏やかな笑顔を見せてくれるようになった。

母が、私達のオンライン面会を心待ちにしてくれている確信がもてて、私もうれしかった。僅か5分という短い時間だけれど、心を通い合わせている実感が、私の心の負い目を和らげてくれる。

苦労の連続の人生を送った母を看取りたい長女としての思いは、現実には叶わぬことだと分かってはいる。

来週は花の好きな母に、バラ園からオンライン面会をしようと思っている。

オンラインで繋ぐ命

f:id:tanpopo-keikoniki:20210417192945j:plain肺炎で入院していた母は、命の危機を乗り越えることができた。しかし、寝たきりで、すでに自分で食べものを飲み込む力を失い、点滴の栄養のみで命を繋いでいる。

何とか母を励ましたくて病院のスタッフに電話で相談をしたら、オンラインでの面会を勧めてくれた。早速、予約をして二人の娘と一緒に緊張してスマホの画面に対った。

画面に写し出されたた母は、ベットに上向きで薄っぺらい体を横たえて微動だにしていない。意識があるようには見えなかった。私は母に聴いて欲しかった歌、庭の千草の曲を歌い始めたものの、涙で歌えなくなってしまった。看護士さんは、気分がいい時は言葉かけに頷くことがあるというが、慰めにしか聞こえなかった。私達は、母の命がそう長くはないと直感したのだった。

そして、オンラインで面会が出来る事を、きょうだいや甥や姪にも急いで知らせた。お別れが近いだろうという一言を付け加えて。
私と娘達は毎週水曜日の4時半と決めて、オンラインの面会を続けることにした。

そして間もなく妹や姪から、母と会話が出来たという報告が入り始め、私達も満開の桜並木を見せてあげた時に初めて母の言葉を聞くことができた。
き…れ…い…

その後は回を重ねる毎に、非常にゆっくりだが話が出来るようになってきた。息子も、おばあちゃんが僕の名前を呼んでくれたと報せてきた。有り難いことに、こうしてオンラインをしてくれる身内が増えてきた。

今週、私達がオンラインで面会した時は、画面に映った母が微笑んでいた。私には、オンラインでの身内とのやり取りを母が楽しみに待っていると思われて嬉しかった。
制限時間は5分という短いやり取りだが、母との時間を大切にしよう。それしか今の私に出来ることはないのだから。

第一回目の時に感じた絶望感が嘘のような母の変わりように、正直言って驚いている。言葉をやりとりし、心を通わすことで母と繋がっていたいと思う。
出来るところまで。

庭の千草

91歳の母が肺炎で入院してから2週間が過ぎた。高年齢に加えて栄養失調になっており、いつ異変が起こるかわからないと医師から説明があったと、妹が知らせてくれた。

心配だが面会は許可されず、病院に電話で病状を教えて貰うことしかできないでいる。幸い、歯茎で潰せる柔らかさの食事が食べられるようになったようで、再会への希望がかすかにつながったと思う。

貧しい家庭に育った母は、働く親に変わって家事や歳の離れた妹の育児のために、学校にはほとんど行けなかったそうだ。落ちこぼれの子には厳しい担任の先生で、体罰も受けたと聞いている。

担任の先生は音楽の先生で、褒められたのは母のソプラノの歌声だったらしい。澄んだ声で6歳違いの弟に子守唄を歌っていたのが、わたしの記憶にのこっている。それを聞くと、母の温かさが私にも伝わって涙ぐんでいた。

母のソプラノは私にも遺伝したのだった。喋る声は女性にしては低いのだが歌うと高音がでて、人前で歌う経験もしてきた。

今、庭の千草の曲を復習している。母が、厳しい音楽の先生に褒めて貰った唯一の曲なのだ。間にあえば、私の声でこの曲を母に聞いて貰いたいと思っている。