心を充たしてくれるのは

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早いもので、亡き母の四十九日の法要の日が近づいてきた。
母を失ったことで出来た心の空洞を抱えての日々は、仕事も日常生活も地に足の着いていない頼りなさを感じながら過ごしていた。

先日、職場であるデイサービスでのこと、利用者の90歳台の女性が娘の名前を呼んでいるらしい声が聞こえてきた。私はランチ作りの仕事の手をとめることなく聞き耳をたてていた。その女性の声は段々と高くなっていく。介護スタッフは慣れた様子で、娘さんは今は会社で仕事をしていると優しく諭している。認知症の女性には、それは理解出来ないらしく娘の名前を呼び続けている。

その時不意に、その女性の呼ぶ声が、死を目前にした母が私を呼ぶ声に聞こえてきた。包丁を使う手がとまり、ボロボロと涙が溢れ出して止まらなくなってしまったのだった。

死の床で母は、こんなふうに私や妹の名を呼びながら待っていたのだと思うと胸がはちきれそうだった。しかし、なんとか自分を取り戻して仕事に支障をきたすことはなかったのだった。
 
その日の帰りに、私は春に咲く花の球根をいっぱい買ってかえった。チューリップ、ラナンキュラスアネモネ、アイリス、スノードロップ、ヒヤシンス。

小さな私の花壇で、もうラナンキュラスアネモネは芽を出し葉を広げてきた。プランターの野菜も順調に育っている。

花や野菜づくりの上手だった亡き母と、心のなかで会話しながらのガーデニングは充実感を与えてくれる。法要の日には、ガーデニングの成果を報告をしようと思っている。

気がつけば心にあった空白は、オンライン面会でやり取りした母との思い出と、花や野菜の事で満たされている。