ふるさと

介護付き施設に入居している母に会うために8ヶ月ぶりに徳島に帰省した。施設はコロナウイルス感染予防の対策で、県外に住む者は面会さえ出来なかったのだが、予約すれば15分の面会が許されるようになった。

施設に電話して僅かな時間しか面会出来ないと知って迷ったが、やはり母に会いたかった。

母は別人かと疑う程に老いが進んでいて、胸が詰った。しかし、ゆっくりだが話しかけに応えてくれ、昔話をして心を通い合わせることが出来たと思う。3人の子供がありながら施設に入居していることを母はどう思っているだろう。バス停までの道を、苦労をかけた母の介護をしてやれぬ無念さに泣きながら歩いた。

日帰りの帰省だったので、亡き父の墓参りはできそうにない。それなら徳島駅近くのホールに展示されている、父の書を見に行こうと思った。ガン末期に渾身の力を振り絞って書いた作品に熱いものがこみ上げてきた。誰も居ないのを見計らって作品に抱きついてしまった。父よ!

墓よりも、書の中に父の体温を感じ取ることができた。私の血の中に同じものが流れてると、確認して、帰途についた。

彼女ならやるね!

先週の木曜日に、元園児の保護者だったパパとママがランチに来て下さった。私が園長からカフェのオーナーシェフに転身してからも親しくさせて頂いており、先々月はお宅でのホームパーティーのお料理も作らせて頂いた。
ママは、数枚の図面を開きながら、今、自宅のキッチンを取り壊していると話し出した。以前に、家族が増えてダイニングテーブルが小さくなったので、作り付けのデカイテーブルに変えたいと言っておられたことを思いだした。
差し出された図面を見せて貰うと、まるでアイランドタイプのキッチンスタジオのようだ。調理スペースがシンクや作業スペースを取り囲むようにとってあり、一辺には天板より少し下がった位置に棚が取り付けてある。そして、五角形の作業テーブルの、もう一辺はダイニングテーブルとドッキングできるという設計だった。熱源は独立したテーブルに嵌め込まれている。
感想を尋ねられたが、私にはイメージすることさえ難しい…
この大掛かりなキッチンとダイニングのリフォームはママの提案だという。
夫婦でクリニックを経営しているので、5人の子供たちに母として教えたい事が、共有する短い時間ではうまく伝えられないジレンマを抱えているのだと彼女は話す。
ある夜、小学2年の長女がママの耳元で、お料理がしてみたい、と呟いたそうだ。料理好きなママは子供と一緒にいろんな料理をしたいと常に思っているし、食の大切さも伝えたいと思っている。
そこで、ママは思い出したそうだ。以前通っていた保育園でパンやクッキー、パイやおむすびなど作った報告を顔を輝かせて娘が報告してくれたことを。あの、元園長を呼んで、自分と子供たち、ママ友や子供の友達も一緒に料理教室をしよう、と。
何という発想だと感心しつつ、いやいや、私にそんな事をする資格などないと、辞退はした。でも面白そうだと正直、興味をもった。
それで、料理の基本などは教えられないが、料理の楽しさなら私にも伝えられると付け加えてしまった。
ランチが終わられてお帰りになるとき、このプロジェクトは実現させます!と、彼女が言った。
わたしは、実現させる人だと知っております!と、返した。
72歳になったが、またワクワクさせてくれる予感がする。

72歳、誕生日のサプライズ

9月6日(日)、私のお店での今年初めてのイベントが開催された。コロナ感染対策でコンサートやライブが禁止や自粛を求められるなどの理由で、いくつものイベントは中止になっていたからだ。

今回はジャグバンドグループのライブで、参加者を20名に絞っての開催だった。演奏者も参加者も60歳以上の方がほとんどだった。まずはビュッフェスタイルでランチをとって頂いた。時間の経過とともに、初めて会う人たちも料理を話題に会話を弾ませたりして和やかな雰囲気になってきた。

食器類を引いて、厨房で後片づけをしていると、団塊世代の私にとっては懐かしいフォークソングブルーグラスの曲が、軽妙なトークをはさんで聞こえてくる。バンジョーの生の音を聴くのは初めてで、リズムに乗って体が軽くなっているのを実感しながらの片づけ作業はテキパキと進んだのだった。

休憩時間にお出しするドリンクとケーキの準備もできたので、会場の端っこで写真を撮らせてもらっていた時に、ハッピーバースディーの演奏が始まった。すると、進行係が会場のみんなに私を紹介して、一日遅れのお誕生日をお祝いしてくれたのだ。演奏者もお客も一緒になって全員で歌ってくれたハッピーバースデー。その音楽と心のあたたかさのハーモニーが、疲れた体に沁みていったのだった。うれしい、サプライズだった!

 

2歳児の糠漬け

来月で3歳になる、ゆいとクンから保存袋に入ったキュウリの糠漬けを2本貰った。開店準備をしていた私は、うれしくて胸がジーンとした。(せんせいえ ゆいと)と、たどたどしい線をなぞれば読める字も添えられていた。

看護師のママはカフェのお客様で、夜勤明けなどにランチにきてくれる常連さんだ。他にお客様がいない時には、お子さんの話しを聞かせて貰っていた。

ある時、インスタで得意げに糠床をかき混ぜる彼の姿を見付けたので、ご来店の折にそのことを告げたら、彼は小さいながら何とか美味しい糠漬けを作ろうと燃えているという。私は驚きを隠せなかった。私の子供達は糠床を混ぜる場面に出くわすと汚い物を見たように顔をしかめて去っていったからだ。

糠漬けの美味しさがわかる2歳児も凄いが、やはり若いママが嫌がらずにさせてあげていることに感心してしまう。この日の私との会話をママから聞いたことで、彼は私に食べて欲しいと思ったらしい。

その日のわが家の夕食のメインになった、ゆいとクンのキュウリの糠漬けに、晩酌をお代わりしてしまったのだった。

授乳中の女の人が漬け物を漬けると美味しくなると言われる。乳酸菌をたくさん持っている手のせいらしい。2歳児の手にもきっと元気な乳酸菌が住んでいるに違いない。でないと、こんな絶品のキュウリ漬けにはならないだろう。

70歳を過ぎた私の手にはもう、糠漬けを美味しくする魔法は消えていそうだから、せめて呪文でも唱えよう。おいしくな〜れ!

「跳びはねる思考ー会話のできない自閉症の僕が考えていることー」東田直樹 著 に私は救われた

この本の著者は1992年生まれの、会話のできない重度の自閉症者だ。

本のカバーに書かれた著者の紹介文には「13歳の時に執筆した「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」(エスコアール)において、理解されにくかった自閉症者の内面を平易な言葉で伝え、注目を浴びる。各国で翻訳され、異例のベストセラーになっている。」という一文がある。確かに、自閉症独特の感性があるが、自分もずっと前にそんなだったと懐かしい気持ちにさせてくれる内容も多かった。

本文より抜粋「頭をからっぽにした時、僕の目に映るものは、まぶしいお日様と風にそよぐ木々たちです。僕も草になったような錯覚に陥ります。

誰かが僕を呼ぶ声がします。声のする方に振り返った時、自分が人間だったことを思い出すのです。」

幼いころに、こんな体験をしたことは誰しもあるのではないだろうか。鏡を見て自分の目の瞳に、小さい小さい自分が写っていることを、もう一つの世界があるように感じたり、水を触っていると気持ち良くて、なぜか安心したりするのは、普通に大人になった人も感覚として共有していると思う。ただ、彼の場合は根源的に考えを詰めていく。

鏡の中の瞳の中にいる自分がどうしているか探さずにはいられなかったり、心から水を恋しがったりするらしい。

本文より抜粋「水を触っていると『だいじょうぶだよ』という地球からのメッセージが聞こえてくる気がするのです。誰にも気持ちをわかってもらえなくても、地球が僕の思いを受け止めてくれるような安心感を与えてくれます。」

 

日常生活にも援助がいる彼の、自分の存在に対する問いかけや、人に理解されない悲しみや、自分で物事の判断ができない不安などを抱えて生きていく中で、彼が懸命に求めているものは何か。それに触れたとき、私の心は浄化されて透明になった気がした。

正直ばかりでは生きてこなかった私は、この本で救われた思いがしたのだった。

 

水の中では自由になれます。」

 

 

灯が点る

和歌山に住む息子から、今年のお盆休みは帰省しないという電話があった。コロナウィルスの感染者が、昨日も1日の感染者数の最高を記録しているニュースを観たばかりだったので、仕方がないと思う。嫁が介護の職にあることも、帰省することに慎重になった理由だと息子は言っていた。もし、こちらに来て感染などしたなら職場に迷惑がかかるだろうというのだった。成長しただろう3人の孫たちに会えないのは残念だが、仕方がない。

私もまだ、隣の大阪に行くには慎重になっている。不要不急の外出をしないで数か月がたっているが、なんとなく気持ちが沈み込んでいく。お店にランチに来て下さるお客様とお話しすると、皆さん一様に同じことを言われる。

何か、すかっとしたい!

70歳過ぎた私がそう思うのだから、行動力のある若い人たちはもっとその気持ちが強いだろう。閉塞感に輪をかけるように梅雨末期の雨がきょうも降り続けている。

洗濯物がカラッと乾かないのでアイロンを当てる。雨の中を買い物に行くのが億劫なので家にあるもので食事を作る。だるいな~と、思う。

しかし、昨日は長女の知り合いから良いお話をいただいた。9月初めに、音楽のイベントを企画していて、わたしのカフェを会場に選んでくださったのだ。第1回の打ち合わせをしたが、少し先に明るい灯が点ったような気持ちになった。

難しかった注文のわけ

今はカフェのオーナーシェフだが、その前は保育士で園長も18年間していた。その時の保護者や園児たちがお客様としてカフェを利用してくださることもある。先日は、そんな保護者から、15名のホームパーティーの料理を頼まれたのだ。予算をお尋ねすると、料理も予算も「お任せ」だと言われたのだった。コロナウィルスの影響でカフェの経営が大変なのを察して、応援してくださる意味合いがあると私は察した。ありがたいお申し出で、喜んでお受けすることになった。

 

「お任せ」と言って下さるのだから好きにやればいいではないかと思いつつ、考え込んでしまったのだ。お客様に満足して頂けるお料理を提供することが一番大事だとは思う。そこで、今まで店でお出しして評判の良かった料理を出来るだけ思い出して書いてみる。女性が多いので野菜料理中心にしてほしいとの希望は聞かせてもらっていた。季節の野菜を彩りよく使った料理がいいだろう。

メインのうち肉料理は、ご主人が自慢のローストビーフを作ってくれるらしい。では、私は魚料理で鯛の姿焼きに決めた。ローズマリーローリエを凧糸でまとめたものをエラと胸に差し込んで、胸にはニンニクとレモンも詰める。塩こしょう、オリーブオイルを振りかけてオーブンで焼く。これを2皿。パーティーではインパクトがあるだろう。

行きつけの道の駅に行くと、小さいがビーツが出ていた。これでボルシチを作ろう。紫紺のナスは揚げてミートソース挟もう。お子様用に朝採りのコーンでクリームコロッケを作ろう。 前菜は鯛とアボカドのフリット、ピクルスにマリネ。キッシュを3種類。サラダは何種類か用意しよう。これで、ほぼ、メニューが決まった。

しかし、肝心の予算が立てられないのだった。「お任せって!」と、何回もつぶやいては、ため息が出る。わたし、試されてる? そんな人たちでないことは、一番よく知っているはずなのに苦し紛れにこんなセリフまで吐いてしまう。

1週間前になった。ピクルスやマリネの仕込が始まった。この時点で腹をくくった。私が普段使っている食材で調理をしようと。仕上がった料理にかかった費用から逆算して料金を請求させていただこう。そう決めると心が落ち着いた。大まかな当日までの流れを書いた表と、毎日の細かい作業手順を書いたタイムスケジュールを作って、それをこなしていった。

だが当日の土曜日は、雨だというのにランチのお客が普段より多かったのだ。お料理を取りに来てくれる17時半まで残り2時間に迫っていた。必死で追い込み、なんとか間に合わす。お料理の入った皿と一緒に私と娘も車に同乗して、会場のお客様の豪邸に到着した。

奥様が作られた参加者名簿には、私と娘の名前が載っていた。「ああっ」と、おもわず声が出てしまった。最初から、パーティーの一員として迎えてくれるつもりだったのか…

冷えたワインに、ローストビーフがおいしかった!

こんな、心温まるおもてなしを受けたのは、初めての経験だった。気が付けば日付が変わろうとしていた…