わたしはどこへ、行くのだろう

今は介護つき支援施設に入居している91歳の母が、まだ自宅で一人暮らしをしていた時のことだ。仕事の都合を付けては奈良から徳島に通っていた。

実家に着き靴を脱いで上がると、私が荷物を降ろす間もなく、堰を切ったように母は話を始めるのだった。
体調の不安、身近な人とのギクシャクした関係、子や孫や曾孫の心配、生活の不便さなどを吐き出すように訴える。

私は、ひたすら聞く事に徹しようと思っているにも拘らず、時々反論してしまったりするのだった。そして、分かってもらえないと、母に寂しい思いをさせてしまう。

一頻り喋ると母は落ち着くので、夕食を作って一緒に食べる。人と一緒に食べると美味しいと言って、喜んで手料理を平らげてくれるので、私も嬉しいと思う。

夕食後は、10年前に亡くなった父の話になる。生前、仲が良かったとは思えなかったが、亡くなった人は美化されて記憶に残っているらしく、しきりに懐かしがり、良い夫であった話をする。そして、早くあの世に行って会いたいと言うのだった。娘として、何を言ってあげればいいものかと思案していると、母は、あの世って本当にあるのだろうか?と、呟いた。一瞬間を置いて、私は言った。

行って帰って来た人はないからわからへんけど、あの世はきっとあるよ!
苦し紛れの私の返事を母がどう受け取ったかは分からないままだ。しかし、私はあの世の存在を信じていない人間なのだ。

あの世の存在を信じたなら、母はきっと父と再開するだろう。しかし、お墓さえ要らないと思っている私はいったい、どこへ行くのだろう。