たまりにたまった思いの、噴火だった気がする。

先週もコロナウィルス対策の外出自粛の影響でランチのお客様は少なく、来て頂いたお客様はゆっくりとお過ごしになられた。

金曜日にお越しになったのは、時々来て下さる年輩のご夫婦だった。今日も、ウォーキングの帰り道に立ち寄ってくださったようで、お冷をお出しした時、ここからの帰りにどの道を選ぶかを話しておられた。

お二人は別々のメニューをご注文になり、ポークソテーのナッツソースがメインのランチプレートと、塩麹漬けの鯛が主菜の和食をお出しした。すると、奥様がスマホを出してきて写真を撮ってほしいと言われた。お二人とお料理が入るように少し身を引いて写したので出来栄えを確かめてもらうと、okのお返事をいただいた。しばらく会えないでいる娘さんにラインで送られるということだった。

そして、いつもの通り、お互いのお料理をシェアしながら、ゆっくりと召上って下さった。ランチプレートを注文されたご主人が、花柄の茶碗でご飯を召し上がり、和食の奥様がパンを食べておられたりして、何とも微笑ましい。

お食事をされる様子を、それとなく垣間見る立場にあるので、こういう光景には心が温まる。きっと、日常生活でも、同じような場面が展開されているのであろうと想像する。

翻って、我が家の食卓に思いを馳せてみる。夫は、早や食いなのだ。自分でもわかっているが習慣で、なかなか直せないという。お酒は飲まない。食事時は喋らないという親の躾を受けて育ったので、ほとんど会話はしない。もちろん、「おいしい」などとは言ったためしがない。食事が終わるとさっさとソファに座ってテレビを観ている。

私は晩酌の習慣があるので飲みながら、作った料理のこととか、その日の出来事など話しながら、ゆっくりと食事がしたい。旬の魚やら野菜の話題を提供するなど、ちょっとした工夫は試みて会話の場にしようとしたが、定着しなかった。食事に対して、夫は私ほどには関心がないらしいことがわかって、これで良しと思うことにした。が、思いはくすぶっていたようだ。

70歳で、小さなカフェをオープンしたのはたまりにたまった思いの、噴火だったような気がしている。